光る鳥   鉾田地区

毎夜、飛ぶタマシイがあると人々が騒ぎ出した。鉄砲打ちが光ものを打つと、ゴイサギが魚の骨を咥えていた。光っていたのはその骨であった。

安鬼   安塚地区

額に両角のある鬼となった婦人安鬼がいた。嫉妬深いので婿も嫌になり家を出た。追いかけてきた安鬼は親鸞聖人にあった。聖人は気の毒に思った読経を続けると、角が折れ、柔和になり家庭も円満になった。安鬼はそれから急に亡くなったが、埋葬した所が安塚である。

矢神神社   上釜地区

伝説によると、日本武尊が東征の際に鉾田市上釜に上陸し、
涸沼南岸の高台であるこの地で休息。そのときそばに置いた
大弓を残したため、村人がこれを奉じて祠を建て、
日本武尊を祭ったのが矢神神社の始まりとされている。
貞観元年(859年)の創建。

++ 鉾田市に残る民話・伝説のお話です ++

塔ヶ崎十一面観世音   塔ヶ崎地区

ここに参詣した女性は難産しない。
子を欲すればすぐに懐妊し男女いずれかを望めば、
やすやすと得られるという。

大和田の万次郎   大和田地区
親孝行しようと思ってカワウソの毛皮を取るために掘った穴から清水がわき出し稲作の貴重な資源となった。

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参照文 挿絵 : 茨城県鹿行地方総合事務所  鹿行地方の民話イラストマップ 
参考本 : 茨城県の民話/茨城県の民話と伝説 上・下/茨城の伝説/日本の伝説/いばらきのむかし話/茨城ふるさとのむかし話
      いばらき民話のふるさと/水郷の民俗/茨城の民話 1集・2集/常陸の伝説/ふるさとの昔ばなし/民話のふる里
      読みたがり 茨城むかし話/おらがたいよう村

鹿島灘のモウレン(亡霊)   冷水地区

タコ取りに出かけた船が沖で亡霊に囲まれ「ひしゃくをかせ〜」
と言われたが、それで水を入れられ沈められたら大変と、
機転をきかせてひしゃくの底を抜いて渡したため沈められずに
すんだ。それまで遭難した船が打ち上げられなかったので、浜の
者は不思議がっていたが、それは遭難した者が亡霊になって
海にいたからで、供養をしたら亡霊が出なくなったそうだ。

ひょうたん入道   子生地区

昔、旅のお坊さんが弁天様のお堂に泊まった際、
ひょうたんをかぶって大入道に化かされそうになったが、
持っていた杖で見事退治した。

棺かけ松   造谷地区

ある葬儀の出棺のとき、突風がふき棺が
大きな松に引っかかったってしまった。
鳥羽田のお坊さんがいくらおがんでも効果がないため、
神宿のお坊さんにたのんだら棺はもとにもどった。
この後、人々は神宿の檀家に入った。

弁慶の鐘引き   沢尻地区

平安時代の終わりごろ、石岡国分寺の僧が
鐘を造るため諸国に寄付を求めて歩いたとき、
ある池のほとりで白蛇が姫の姿であらわれ男女二つの鐘を
松の木にかけて姿を消したという。その鐘の運搬を弁慶が
引き受けた。七日目に通ったのが上釜の七日原、八日目に
通ったのが上太田の八日堤など、今でも伝説が地名で残っている

子生弁財天   子生地区

鎌倉時代の中ごろ、ある女の人が十数年たっても
子宝に恵まれず、家人はおろか夫にさえ冷たさを覚え、
思い余って家出をし、たどり着いた所が一望千里の大海原。
近くの社で一夜をすごすと、琵琶の音色と金襴をまとった
弁天様が現れる夢を見た。急に陣痛におそわれ我に返り
まもなく男の子が生まれた。
このことから、安産の神様として伝えられている。

福泉寺の河童   大蔵地区

福泉寺では、毎夜お供え物を盗むものがおり、
村人がみはりをしていると、底なし沼に住む河童が
つかまった。寺の雑草を毎日綺麗にする約束をし、
約束を守る証にその手形を残すことで許された。
以来、福泉寺は雑草のない綺麗な寺であった。
しかし、火事で手形が焼けてしまうと、河童は雑草を
取るのをやめてしまったという。

滝浜と波切不動尊   滝浜地区

鹿島灘を通る親船が滝浜沖に近づくと動かなくなってしまう。
古老が、ご尊体が東向き安置されているせいではと、言うので
西向きに改めたところうごいたと言う。

六地蔵   台濁沢地区

台の浜に六地蔵がいて、ある時、火事でこまった人を助けるため
一体が中国に向かった。地蔵が五体になったのを知った村人が、
地蔵を作ったため、全部で七地蔵となった。

福泉寺の七不思議   大蔵地区

福泉寺の七不思議 @東野の馬骨 A弥八山の弥左衛門
B竹林鶏三本足 C南地の尾無鯉 D北方の独眼
E不能の帰路 F丁丁の小づち。

天宮神社の御手洗   大蔵地区

入れ物の大きさに関わらず、いつも入れ物いっばいに
酒を買ってくる下女がいた。不思議に思い後をつけると、
下女が天宮の御手洗でくんだ水が酒に変わっていたのであった。

一本松とあざらし   札・仲居地区

札と仲居根道の間にある老いた一本松は、
昔の処刑場と言われていて、罪人の首をあらいさらし
たことから「あざらし」と言う地名がついた。

弘法水   江川地区

弘法大師が江川で飲み水を求めたが、村人は
仕事に夢中で、気づかなかったため、仕方なく
大師は自分で水をだして飲んだ。
そのためその辺は飲み水に恵まれなくなった

小見門塚   上幡木地区

牛子坂で牛を亡くした貴公子に、里人は家を建てて
住まわせた。彼が身分を明かすことなく亡くなると
里人は塚を作り丁寧に葬り小見門塚と名づけた。

牛子坂   仲居地区

坂道にかすかな笛の音。見ると美しい
貴公子が横笛を吹きながら牛に乗ってやってきた。
坂道にさしかかったとき、牛がつまずいて倒れ
そのまま息絶えた。貴公子はその死を悲しみ、
着物の袖をさいて牛の顔を覆い弔った。それから
この坂でつまづいたときは、貴公子にならって片方の
袖をちぎってすてるように言われている。

鴻の巣   仲居地区

金のくつわを盗んだ犯人さがしのため、焼いた鉄が
用意された。その時、強風が吹いて鉄が鴻の巣へ
入ってしまった。探していたくつわが見つかった。

白鳥の里   仲居地区

白鳥の里と呼ばれる大変美しい里に、
数羽の白鳥がまいおりた。白鳥は乙女の姿になり
池を作り始めた。だが、いくら作っても、すぐに壊れてしまう。
何日も何日も繰り返したが、ついにあきらめた。
乙女は、白鳥の姿に戻り歌を歌いながら天に舞い上がると
二度と姿を見せることはなかった。

捨亡窪   鳥栖地区

鳥栖と下富田の間に捨亡窪と言うところがある。
昔、年をとった老人を捨てた場所だと言われている。
そこは昼でもうす暗いさびしい山道で、
捨てられた老人は皆死んでしまったという。

赤衣長者   半原地区

昔、半原に赤衣をまとった長者が居て、その息子
には言い交わした娘がいた。ある時、娘は誘拐され
そうになり、池に身を投げて死んでしまった。
息子は悲しさから毎夜池の岸辺で一生歌い続けた。

タヌキをつかまえる話   塔ヶ崎地区

松の木の下で雨宿りをしていた若者を、木の上の
タヌキが化かしていたが、、次第につかれてタヌキ寝入り
をしたら、若者に捕まってタヌキ汁にされてしまった。

河童橋   紅葉地区

昔、河童橋と言う橋の下に河童が暮らしていた。
ある日、人間の子供がもちを食べているのを見た
子どもの河童が、親河童にねだり、困った親河童は
人家にぬすみに入った。人間に見つかり水中に
飛び込んだ時、くいで大事な皿を割ってしまい、
親河童は死んでしまった。その後、子どもが川に落ちて
死んでしまう事件が続いた。人々は、たたりと思い、
河童の命日にもちを川に流して供養した。すると、
川の事故はなくなった。

留墓   西台地区

ある農家の留五郎という若者は、村長の厳しいやり方に反対し、
酒を飲むと、いつも村長宅におしかけ文句を言うので、村長は
こまっていた。あげくのはて留五郎を落とし穴に誘い、
生き埋めにしてしまった。留五郎の死を悲しむ母が村を大火事に
してやると呪いをかけ、そのあと村は毎年大火事になったという。
村人はその後に留五郎の供養塔を作り丁重に供養した。

成長する石(主石神社)   大和田地区

昔、村人が成長する石を見つけ、神の宿る石に違いないと、
石の上に社を建てた。しかし、年々石は成長し、社殿が
壊れてしまった。   

びんぼう神と小判(大竹郷士)   大竹地区

昔、びんぼうだったけど働き者の夫婦がいた。
ある晩、びんぼう神が天井からおりてきて、
「お前達はまじめで働き者だから住みづらくなったので
出ていく。今夜、山道をすずを付けた馬が通るから、
その馬の横腹を竹やりで突き刺せ」と、言って消えて
しまった。いわれたとおりにすると馬の腹から小判が
転がり落ちてきて、二人は大金もちになった。

富士 浅間(せんげん)神社   東台(古宿)地区

鉾田にお富士山という森があり、女の神様がまつられていた。
この神様は欲張りなので、森に入って草木を取ると、
バチがあたると言われている。

ゆうれいと親鸞上人   鳥栖(無量寿寺)

その昔、地頭、平高時の妻が難産の挙句、
亡くなりこの寺に埋葬されたが、夜毎亡霊となって現れ遂には、
誰もいない荒れ寺と成り果てて荒廃…そして高時の要請を受けた
親鸞は信海とともにこの寺に入り、人々に小石を集めさせて
一つ一つに一字ずつ「浄土三部経」二万六千六百十二字を書写して、
怨霊と化した女の墓に埋めて昼夜を問わず、念仏供養を行い結果、
たちまちの如く女の怨霊は菩薩となり成仏したといわれている。
そうしてこの地に萱と菩提樹を植えて、墓には「女人成仏御経石塚」
と呼ばれている。
「幽霊さま」と呼ばれている掛け軸がこのお寺に、今も伝わっている。

鏡ヶ池の大蛇   塔ヶ崎地区

塔ヶ崎の鏡ヶ池には大蛇が住んでいて、男が近づくと刀を、
女が近づくと鏡を浮かべ、それを取ろうとすると池の中へ
引きずり込んで、飲み込んでしまうと言うので人々はおそれ
近寄らなかった。池が枯れると大蛇は、紀州のある池に移って、
水がたまると飛んで戻ってきた。その後、なぜかこの池は枯れる
ことはなく、大蛇は長く住んだという。この池の跡周辺は、
今も地盤が弱く埋め立てしても沈んでしまうと言う。

鉾田市の民話